両親の離婚で子供が本音を初めて口にした~お父さんと暮らしたい~
3組のうち1組は離婚をしているこのごろ。離婚家庭も珍しくなくなってきましたね。
momokoも離婚して約10ヶ月が経とうとしています。
離婚当時、長男は小学5年生、次男は小学3年生でした。
二学期も終わりに差し掛かってきたころです。
つい先日衝撃的な事を知りました。
「あと何年ここで暮らせるの?」
次男坊が放った衝撃のひと言でした・・・
高校を卒業したら一度は親元を離れるように言っていたので、その事かと思ったのですが・・・
Contents
衝撃!子供が考えていたこと
momokoの説明も悪かったのかな?と反省と後悔です。
両親が離婚をするときの子供の年齢が満15歳を迎えていれば、どちらの親と暮らすのか子供自身の意思で選ぶ事が出来ます。
離婚時はどちらも小学生だったので、子供の気持ちを確認せず母親であるmomokoと暮らすのだと言いました。
ただ、15歳だったら自分達で選ぶことも可能であると説明もしました。
momokoは勝手に一旦母親と暮らし始めれば、自立するまで一緒に暮らすものだと思い込んでいたんです。
しかし、子ども達は15歳になったら父親と暮らすことになると思っていたようで、2人の会話からその事を知りました。
聞かなかったことにしてスルーしようかとも考えましたが、何だか騙しているようで心苦しかったので、本当の事を話しました。
離婚時に15歳だったら一緒に暮らす親を選べるけれど、小学生だったので母親と暮らすと両親で話し合って決めたこと。
ただ、これは絶対のことで永遠に変えられないものではないのだとも説明しました。
そして、怖かったけれどどう思っているのか、尋ねてみました。
長男は少し言いにくそうでしたが「お父さんと暮らしたい。」そう言いました。
次男は「ボクはお母さんとがいい。」と言いました。
誇張でもなく、ただただショックでした。
そうか、本音ではお父さんと暮らしたかったのか・・・
親の思いと子供の本音はかみ合わないもの
momokoの元夫は子供に関しては甘く、休日は一日中よく遊んでくれ、いくつになっても寝かしつけをする人でした(単純に眠たかっただけですが)。
一体いつになったら子離れするんだろうか?と思うほどには子供とベッタリでした。
家族として一緒に生活するのは、とっくに限界を越えていましたが、子供との関係は良好だったんですよね。
それでも朝の出勤は子供が起きる前で、仕事の帰りは到底保育園のお迎えには間に合わなかったので、保育園に入園してから卒園するまでの長い8年間はすべてmomokoの担当でした。
出勤が早いのは彼がそうしたかっただけで、小さな子供の面倒をみようとなどとは全く念頭に無かったんです。
小学校に入学してからも宿題を見るのはmomoko、躾や説教もmomoko担当でした。
長男や次男の性格も考慮しつつ、言葉を選んで諭したり、苦手科目を教えたりもmomokoの役割だったんです。
仕事の疲れを休日まで引きずっていたので、体力のあった父親(寝たいだけ寝ていた)と朝から夕方まで遊ぶのが週末の恒例でした。
子供の目から見るとお母さんは厳しい事が多いし、いつも遊んでくれないし、勉強を見てくれても怖いけど、お父さんはよく遊んでくれて怒ることも少ない。一緒にいて楽しい事ばかりだったんでしょう。
そりゃ大好きに決まってますよね。
現実を正しく理解できないのは子供ならでは
生活をするためには当然お金が必要です。
元夫の給料は非常に少なく、月によっても大きく変動します。
少ない時で15万円台。離婚1年くらい前からチラホラ20万を越える月があったくらいです。
当然momokoは安定した職業だったこともあって、夫婦共稼ぎだったから節約に必死にならなくても生活出来ていたんですよね。
そうは言ってもmomokoが仕事を辞めるorセーブするという選択は不可能でした。
また、momokoは「備えあれば憂い無し」といった堅実派なので、子供が産まれた時点から学資保険に加入したりして将来への備えを着々としていました。
こういったお金関係は元夫は感心すら示さなかったし、どの位備えているのかも知りませんでした。任せていると言えば聞こえは良いけれど、将来への備えという考えを持っていませんし、今が良ければそれでいいというタイプですね。
学資保険などの手続きや名義はすべてmomokoでした。
お金関係を任せられ無い人だったからです。
朝の出勤が早く、帰ってくるのも遅い父親と暮らすイメージは小学生には難しいでしょう。
今まで簡単なお手伝い(配膳を手伝う、使った食器を片づける)しかしていなかったのですから、もっとガッツリ家の事をしないといけないなんて考えていないでしょう。
父親の給料も知らないので、切り詰めた生活自体、経験も想像も皆無です。
食事の時のマナーや宿題を見てもらう、一般的な躾はmomoko担当というか、父親の最も苦手とする分野を一身に請け負っていました。
それが全て0になるなんて想像出来ません。
厳しいようですが、小学生が薄給で自己管理も出来ない父親と暮らしていけるとは考えられないんです。
ただ、単純にお父さんと暮らしたいという気持ちがあるということ。
多分、一緒に暮らすのがお父さんか?お母さんか?というだけなのかな?と思っています。
面会日の父親と生活を共にするのは違う
たまの面会日ならば、張り切って美味しい物を食べさせたり、甘えたいだけ甘えさせたり子供が喜ぶであろうことを目一杯頑張ることは可能でしょう。
一番良い父親を必死で演じているのが目に浮びます。
しかし、薄給の身で毎日の生活を回さなければならないとなると、そうそう贅沢は出来ません。
イライラすることを押さえられなくもなるだろうし、理不尽なことで怒ることも増えるでしょう。
元々キャパの狭い人だったし、だらしないのが普通の人でしたから、生活が乱れるのは火を見るよりも明らかです。
そんな事になるんだと知らせたくない気持ちと、知ってやっぱりお母さんと暮らしたいと思うのもアリなのかなぁと。
子供の気持ちをどこまで尊重するべきなのか悩む
会話の流れから実はお父さんと暮らしたいのだと知ってしまったのですが、知ってしまった以上知らなかった事には出来ません。
お父さんと暮らすとなれば金銭面で苦労するだろうし、一人前の大人になれるような躾なりアドバイスがあるとも考えにくい。
そんな父親に今まで慈しんで必死になって育ててきた愛しい息子を託せるだろうか。
今のmomokoには受け入れがたいのです。
私との暮らしに不満は無いようですが、それでも父親と暮らしたい気持ちもあるわけです。
子供の気持ちを優先して父親と暮らす事を許してもいいのではないか。
イヤイヤ、もう少し分別がつくまではmomokoのそばに置いておくべきなのではないのか。
長男は優しい子です。きっと母に話すのは相当の勇気がいったと思います。
離婚前の父親がした悪行の数々を聞かせたところで、大好きなお父さんであることには変わりないんですよね・・・
どんな親でも大好きなのが子供というものですから。
だけど、やはり「お父さんと暮らしたい」と言われた衝撃はメガトン級の破壊力がありました。
まとめ
まだ迷いの迷宮の中にいるmomokoにまとめられるのか?
子供の気持ちはムゲには出来ません。
そうは言っても未来を見据えた導きも、子供の将来を考えるとおろそかに出来ません。
今の本当の気持ちを言った勇気は認めつつ、もう少し(せめて義務教育が終わる頃)時間をもらいながら様子をみて考えようと思っています。
小学生といえども、あしらうこと無く、ひとりの人間として対等に接していこうと心に誓いました。
まぁ、涙は出ましたけどね(子ども達が寝たあとでひっそりと)
離婚すればすべてが解決しないんだなぁと痛感しました。
後日談
お父さんと暮らすのは15歳になったら、という認識だったようです。
15歳になったら自動的にお父さんと暮らすと解釈していたと判明しました。
ややホッとしましたが、その時の子ども達の選択がどうであれ、一度は受け入れる覚悟をしていこうと考えています。
両親の離婚で一番傷ついたのはまぎれもなく子供であることを忘れずに、かけがえのない日々を送っていこうと改めて心に誓いました。