ひとりごと

最後の時の迎え方はそれまでの人生の集大成だと思うなぁ

人間は誰でもいつかはあの世へいきますよね。

貧乏でも大富豪でも、こればかりは平等に訪れます。

いつ、訪れるのか?これはもう本当に神様にしか分からないのではないでしょうか。

かなりハードなテーマですが、実はとっても大切なことですよね。

 

『死』について話題にするのはいけない話をするようなイメージがありますが、そうでも無いんです。

必ず順番に呼ばれるとは限りませんし、不慮の事故も突然の病もあり得ます。

核家族化が進んでいる現代は、親と子の二世代家族が多く、祖父母を含めた三世代家族は減っています。

 

昭和の時代は三世代家族は一般的な家族の形でした。

三世代で生活をしていると、おじいちゃんやおばあちゃんが段々と ボケ=痴呆症状 が始まっていくのを身近に見る事ができます。

痴呆の症状がゆっくりと進んで行き、やがて身体も弱り、天からのお迎えも遠くないのだなーと感じながらの暮らしになりますよね。

 

頑固だった祖父母がさらに頑固さを増していく様子や、逆にかわいらしくボケていったりするのを普通のこととして生活を続けていたのです。

 

そうして、やがて突然お迎えが来たり、病気や怪我が発端で入院した病院で永遠のお別れをするのが一般的でした。

 

もっと昔は自宅で亡くなるのが一般的だったのです。

老衰という逆らう事の出来ない状態を普通のことと受け止め、いつの日にか自分もそうなっていくのだと誰しも自然に受け入れていました。

近所付き合いも、今よりも親密で町内や近所に世話好きな人や、経験豊かな方がいて、最後の時を迎えるアドバイスを受ける事も出来ました。

 

核家族化が進み、近所付き合いが希薄になった現代は、人生のクライマックスを自宅で過ごすこと自体が難しくなっています。

まず、自宅で看取る程のマンパワーが圧倒的に足りていないです。

仕事も持って、家庭の中も回していかなければならないのに、介護まで手が回りません。

望んでいなくても最後の時を病院や施設で迎えることになりますね。

これはもう、どうしようも無いことです。

誰が悪いとか、情が無いとかではなく、生活をするためには外で働く必要があるのですから、本当にしかたがないのです。

 

実際にあったこと

パートⅠ 骨折をして入院中の高齢女性の場合

洗濯物が溜まっても家族が来ません。

困ったスタッフは家族に電話をしました。

 

「洗濯物が溜まってしまい、着替えも無くなったので、取りに来て頂けませんか?」

電話に出ているのはお嫁さんのようでした。

「主人の母なので、主人に言ってください。」

有無を言わせず、ガチャンと電話を切られました。

 

伝えるくらい、してくれてもいいのでは?その時はそう思いました。

退院出来るくらいに回復しましたが、自宅に連れ帰るのを頑なにお嫁さんに拒まれ、施設に入所されました。

 

後になって考えてみた時に、お嫁さんが頑なに拒絶するだけの歴史があったのでしょうね。

 

パートⅡ 病院で亡くなった女性の場合

入院中は毎日娘さんがお見舞いにいらしていました。

にこやかに挨拶される、とても感じの良い娘さんでした。

お母さんも娘さんが来るのを楽しみにしているのが分かりました。

 

ある日、容態が急に悪くなり天に召されるのも時間の問題でした。

いつ、呼吸が止まってもおかしくない状態なのに、なぜか呼吸も心臓も止まりません。

他のご家族に遅れて、娘さんが来られました。

 

「お母さん、遅くなってごめんなさいね。」

そう言って手を握っていると、ス~ッと呼吸が止まったのです。

娘さんが来るのを待っていたかのようでした。

 

「娘さんが来るのを待っていたのですね。」

そう言うと、「いえ、わたしは嫁です。娘ではありません。」そう、おっしゃいました。

どう見ても仲の良い親子にしか見えませんでした。

 

パートⅢ 独身男性の生き方

船乗りさんだったという男性は独身でした。

まだ動けるけれど、死が近いのも事実でした。

このまま亡くなったら、福祉のお世話になるのだろうと思われていました。

 

ある日、内縁の妻だという女性がお見舞いに来られました。

家族がいたことに少し安心していたところに、二人目の内縁の妻と名乗る女性が現れました。

おぉっと~これは大変だ!!なんて考えていると、なんと三人目の内縁の妻が出現です。

もう、修羅場は間違い無し。

 

ところが、1号さんは月・木担当。2号さんは火・金担当。3号さんは水・土担当。日曜日は順番で。

仲良く泊まり込む曜日を話し合っているんです。

それぞれ顔を合わせたのは初めてだったそうですが、存在は知っていたようです。

 

どういう事?そう思いますよね。

船乗りさんなので、各港に現地妻がいたそうで、お子さんもいるとか。

籍は入れなかったけれど、どの奥さんにも愛情を注いでいたことは伺えました。

生活に困ったりも無かったそうです。

 

3人の奥さんと数人のお子さんに看取られて亡くなりました。

不謹慎かも知れませんが、幸せな人生だったのかな?そう思いました。

 

パートⅣ ひとり息子に看取られる

生まれつき足が悪かった女性は昭和にしては、やや遅い結婚をし、ひとり息子をやっとの思いで産みました。

ひとり息子は心の優しい子供でしたが、しつけや教育熱心な親ではありませんでした。

 

晩年になり、たくさんの病気を抱え、通院をひとりでするのは難しく、介護の助けを借りていました。

心配していた息子もやっと結婚し、一安心したころ、女性もまた入院生活をすることになりました。

 

ある日、急に状態が悪くなりました。

もともと長く闘病していたので、延命治療しか残されていませんでした。

延命治療は苦しみが長くなるだけだから、そう決めた家族は延命治療を望みませんでした。

 

一時的に状態が落ち着いた頃、再び状態が悪くなりました。

ひとりで付き添っていた息子は延命治療を望みました。

 

その1週間後に女性は亡くなりました。

息子さんは大きな身体で、たくさんたくさん泣いていました。

 

けれど、葬儀の時にお母さんのそばに近寄らないのです。

「気持ちが悪い。あれは死体だもの。」そう言ったのです。

息子さんの考え方が少しおかしいのか、悩ましいエピソードでした。

 

 

まとめ : 最後の時にそれまでの生き方が凝縮されている

違った形のエピソードをお話しました。

正しい、正しくないという事では無いのです。

うらやましいようなエピソードもあれば、ちょっと考えてしまうエピソードもありましたよね。

 

どのように生きて来たか。何を伝え、教えて来たか。

 

晩年の最後の時間をどのように過ごすのかは、それまでどのように生きて来たのかを垣間見るように思えます。

どのようなクライマックスを迎えるのかは、結局自分次第なのかな?そう感じています。

 

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