親の役割ってなんだろう。理想と現実は違うものだけど。
親の最大の役割。子供を無事に独り立ちさせること。
最終GOOLはこれだと思っています。
産まれる前は元気だったらそれでいい。なんて考えます。
元気に産まれて来たら、発育の良さを願います。
歩けるようになれば、走ることを。
単語が出てくれば、流ちょうな会話を望みますよね。
学校に行くようになるとさらに上を望みます。
字を書くなら、キレイな字を。
テストを受けるなら、良い点を。
少しでも良い成績を。
周囲からの評価も気になってきます。
「優しい子だね。」
「とても素直ないい子だね。」
目の前の事にだけを気にしていると、視野が狭くなりますよね。
もっと広い視点で子供を見る。
「今」だけでは無く、もっと先の事まで考える。
もちろん、今も大事です。
今で無いと出来ない事も確かにあります。
「子供の間は子供らしく」が、私のモットーです。
抱っこをねだられる間は求めに応じてました。
ずっと抱っこなんてしませんもの。
勝手に膝に乗ってくるうちは膝を貸していました。
今は重くて乗せられないし、そもそも膝に来ません。
お風呂はギリギリ一緒に入ったりもしますが、明らかに回数が減ってきました。
子供だけでお風呂に入ることもチラホラと出て来ました。
親離れは自然としていくもののようです。
一方の子離れは意識的にしていくのだと、最近痛感しています。
忘れ物が無いように確認しておくのも、磨き残しが無いか仕上げ磨きをするのも
すっぱり辞めました。
自立出来るように、わざと色々仕掛けているのですが、
けっこう寂しかったりします。
わたし自身が自立が早かったので、それに比べると
我が子は甘えています。
成人するまでは保護者ですから、何かあれば全ての責任を負うわけです。
しかし、20歳になったその瞬間から
「はい、アナタはもう一人で全てを背負いなさいね。」
は、厳しいですよ。
徐々に訓練が必要です。
その訓練がしつけであったり、礼儀作法を教えることだったりするのではないかな。
ケンカするにも暴力をともなわないようにするには、普段の兄弟ケンカも重要です。
冷静にジャッジすることも大切なことです。
不公平感を持つと親への信頼度が下がります。
きちんと自分を見てくれていると分かっていれば、グレたりキレたりしません。
子育ては思う様にいかないことばかりです。
落とし穴が時々ポッカリ開いていて、うっかり落ちることもあります。
想定内の出来事なら、ふむふむやっぱりね~と、対応可能です。
予想外の変化球をくらうと、どう対応するのがベストなのか迷います。
ゆっくり迷っている時間などないので、
ほぼ瞬間的にこっちの道!とばかりに選んで来ました。
あとになって、この選択で良かったのだろうか・・・
考え込むこともあります。
それでも根本的な事=独り立ち出来る人間に育てる
というポリシーはずっとブレていないので、子供と自分を信じるしかありません。
なにがこんなに不安になったり、迷ったりするのだろうか。
それは我が子といえど、自分の人生では無いものの責任を取ろうとしているから。
こんな風に考えると責任重大ですよ、そりゃ。
しかも旦那はあてに出来ないときたもんだ。
親である以上はずっと悩み続けるテーマなんだろうなぁ
そう、思います。